インシデントレポートとカスハラ相談窓口の違いと関係|医療安全と労務管理、2つの体制の整理

医療機関には、医療安全管理体制と、労働環境(労務)管理体制という、2つの独立したセーフティネットがあります。

前者は患者様の安全を、後者はスタッフの心身と就業環境を守る仕組みです。

インシデントレポートは前者の、カスハラ相談窓口は後者の、それぞれ代表的な入口にあたります。

別々の仕組みである以上、それぞれの役割を混同しないことが基本です。

一方で、この2つは、まったく無関係というわけでもありません。

カスハラ対策の体制を整えるにあたり、両者の違いと関係を整理しておくと、窓口の設計や運用で迷いにくくなります。

本記事は、社会保険労務士の立場から、公開されている医療機関の医療安全管理指針等をもとに、一般的な考え方を整理したものです。医療安全管理の具体的な体制構築・運用については、院内の医療安全管理者や医療安全の専門家にご確認ください。

 

医療安全管理体制-インシデントレポートは「報告した人を責めない」仕組み

医療安全管理体制は、医療法施行規則第1条の11により、病院等の管理者に求められている、法令上の体制です。

その入口にあたるインシデントレポートは、事故やヒヤリ・ハットを報告し、分析して、再発防止につなげる仕組みで、医療機関の指針には、報告したことを理由に不利益な取扱いを受けることはない、と明記しているものがあります。

 

労務管理体制-カスハラ相談窓口は「職員を守り、組織としての対応につなぐ」入口

一方、カスハラの相談窓口を含む労務管理体制は、労働施策総合推進法に基づくカスハラ防止措置や、労働契約法上の安全配慮義務など、医療安全とは別の法令を根拠としています。

目的も異なります。

窓口には、発生した出来事の報告だけでなく、対応の仕方についての相談や、心身の負担についての相談も寄せられます。

 

以前の記事で触れた通り、窓口は、相談を受け止めるだけで終わってしまっては機能しません。

警告や診療のお断り、現場のバックアップ、警察・弁護士との連携といった、組織としての対応につなぐ入口であることが求められます。

こうした対応の判断は、窓口の担当者だけで行うものではなく、管理者や院長を含め、組織として行います。

あわせて、相談者のプライバシー保護や、相談したことを理由とする不利益取扱いの禁止も必要です。

なお、この記事で扱うのは、患者様・ご家族からのカスハラです。

職員間のハラスメントは、相手が院内の人間であり、対応の枠組みが異なるため、ここでは扱いません。

 

2つの体制の違い

観点 医療安全管理体制 労務管理体制(カスハラ)
主に守るもの 患者様の安全 スタッフの心身と就業環境
入口 インシデントレポート(報告) 相談窓口(相談・報告)
基本の考え方 報告した人を責めず、仕組みを見直す 相談・報告した人を守り、組織として対応する
受け付けた後の流れ 委員会等で分析し、再発防止策を周知する 事実を確認し、組織として対応を検討・決定する(必要に応じて弁護士・警察と連携)
情報の扱い 分析結果・対策を院内に共有する 相談者が特定されないよう、共有範囲を最小限にする

どちらの入口も「声を上げる場所」ですが、受け付けた後に起きることは大きく違います。

入口の役割があいまいなままだと、声を上げた側が想定していた展開と実際の対応とのずれが生じ、どちらの仕組みも使われにくくなるおそれがあります。

 

両方の土台にあるのは「声を上げられる職場」

2つの体制には、共通する土台があります。

心理的安全性です。

失敗の報告や相談といった、対人リスクを伴う行動をとっても不利益を受けないと感じられる状態を指し、これが確保されている職場ほど、職員は安心して報告や相談を行いやすくなります。

組織行動学者のエドモンドソンは、病院での調査から、インシデントの報告数と、チームの開かれた雰囲気との間に相関が見られることを示したと言われています。

報告しやすい環境だからこそ、出来事が表に出てくる、という見方です。

 

カスハラも同じです。

「この程度で相談したら、対応が下手だと思われないか」「また、あの人が相談してきたのか、と言われないか」と考えてしまう職場では、患者様からの迷惑行為も表に出てきません。

以前の記事で取り上げた、相談した職員を「厄介者扱い」してしまう対応は、まさにこの心理的安全性を損なう要因です。

一方の入口の利用が少ないときは、もう一方も声が上がりにくい状態になっていないか、確認してみる価値があります。

 

交錯する場面-診療の経過への指摘と、不当な要求が重なるとき

2つの体制が交わる場面もあります。

たとえば、患者様のご家族が、診療の経過に問題があったのではないかと指摘しつつ、同時に土下座や謝罪文を強く要求してきた場面を想定してみてください。

あくまで想定される一例ですが、こうした場面では、次の2つを分けて考える必要があります。

  • 診療の経過に問題がなかったか:医療安全の枠組みで、事実を確認し、仕組みの面から検証する
  • 土下座や謝罪文の強要、SNSでの晒しなどの不当な要求:カスハラとして、組織的に対応する

 

不当な要求があるからといって、診療の経過に関する指摘そのものを軽く扱ってはいけません。

逆に、指摘に一理ありそうだからといって、不当な要求に応じる理由にもなりません。

この2つは、別々に判断します。

診療の経過そのものの評価は、医療安全の専門的な視点から検証すべき領域です。

 

入口の役割を明確にし、情報は繋ぐ

以上を踏まえると、それぞれの入口の役割を、職員に明確に示しておくことが大切です。

声を上げる側が「どちらに伝えればよいか」で迷わないようにするためです。

そのうえで、次のような形で情報を繋ぎます。

  • 迷惑行為の発生状況や、報告・相談の集まり具合といった傾向レベルの情報を、医療安全を扱う委員会と、労務側(衛生委員会が設置されている場合は、その場など)とで、定期的に共有する
  • 一方の入口に寄せられた内容が、もう一方にも関わる場合は、本人の意向を確認するか、個人が特定されない形で引き継ぐ

 

個別の相談内容そのものを共有する必要はありません。

入口(受け皿)はそれぞれの役割を保ち、情報(組織としての気づき)は繋ぐ。この整理が、2つの体制を機能させる鍵になります。

 

まとめ

医療安全管理体制と労務管理体制は、それぞれ独立したセーフティネットです。

インシデントレポートとカスハラ相談窓口は、その入口として、守るものも、受け付けた後の流れも異なります。

それぞれの役割を保ったまま、共通の土台である「声を上げられる職場」を整えつつ、必要な情報だけを繋ぐ設計を検討してください。

 

すずえ社会保険労務士事務所では、病院・医療法人向けに、カスハラ基本方針・対応マニュアルの策定、就業規則の見直し、院内研修の講師を承っております。まずはお気軽にご相談ください。

鈴永 眞

同志社大学法学部卒業後、中小企業マーケットに特化した大同生命保険株式会社に入社。
東京、京都などの営業拠点で販売、社員育成、組織運営に従事。
その後、医療系スタートアップの立ち上げや全国規模の医療グループのM&Aを経験し、組織を動かすのは結局のところ「人」であると実感。
2019年に社会保険労務士として登録し、2021年からは病院・医療法人の労務課題に特化した支援に専念している。

 

不定期配信ですが、ほぼ毎日つぶやいています。
その時に感じたビジネスの考え方、アイデアから仕事の様子などを写真に撮ってお届けしています。