ペイハラを放置するとどうなるか|病院の「安全配慮義務違反(損害賠償リスク)」と近年の判例傾向

2026年09月22日

「対策さえしっかりしておけば、何かあったときに病院は守ってもらえるだろう。」

カスハラ対策のご相談を受けていると、こうした期待の声を伺うことがあります。

しかし、実際の判例を見ると、そう単純ではありません。

今回は、病院が「安全配慮義務違反」として訴えられた実際の判例と、それとは別の角度から見えてきた、もう一つの法的な現実を整理します。

本記事は、社会保険労務士の立場から、公開されている判例・法律専門家の解説等をもとに一般的な考え方を整理したものです。個別の事案についての法的な評価・対応は、必ず弁護士等の専門家にご確認ください。

 

安全配慮義務とは何か

労働契約法5条は、使用者に対して、労働者がその生命・身体等の安全を確保しつつ労働できるよう配慮する義務を課しています。

これを怠った場合、病院は従業員から損害賠償を請求される立場になります。

労働安全衛生法69条とあわせて、スタッフの安全確保は病院の法的な責務です。

 

安全配慮義務が争われた判例

看護師が患者から2度暴行を受けた事例(医療法人社団こうかん会事件/東京地裁 平成25年2月19日判決・労働判例1073号26頁)

看護師が、業務中にせん妄状態の入院患者から暴行を受けました(第1事故)。

ナースコールを押したものの、他の看護師の対応が遅れたことで、より重い傷害を負う結果になりました。

裁判所は、不穏な患者による暴力の可能性を前提に、担当外の病室からのナースコールであっても直ちに応援に駆けつけるべき注意義務を病院が怠っていたとして、この事故について安全配慮義務違反を認めました。

その後、この看護師は治療を経て復職しました。

病院は産業医を交えて本人と複数回協議を重ね、本人の同意のもとで段階的に業務を任せる形をとりましたが、復職後、再び入院患者から暴行を受け(第2事故)、これをきっかけに適応障害を発症し、休職に至りました。

1件目が身体的な傷害だったのに対し、2件目は精神的な被害という違いがあります。

裁判所は、この第2事故について安全配慮義務違反を認めませんでした。

理由は、復職にあたって病院が丁寧な手順を踏んでおり、本人からも患者との接触に対する恐怖や拒否の申し出がなかった以上、病院側の対応に落ち度はなかったと判断されたためです。

 

医師が患者に刺殺された事例(いわき市立常磐病院 医師刺殺事件/福島地裁 平成16年5月18日判決・判例時報1863号91頁)

市立病院の神経科外来で、診察中の医師が、通院していた患者に刃物で切りつけられ、死亡した事件です(平成10年)。

遺族は、病院を設置する市に対して、安全管理上の過失があったとして損害賠償を求めました。

福島地裁は、事件現場の診察室について、医師がいる側に通路や出入口がなく、逃げ場がなかったと指摘しました。

診察室の配置を決める際、勤務する医師等が加害行為を避けて逃げられる場所を確保する義務があったにもかかわらず、それを怠っていたとして、市の安全配慮義務違反を認めました。

単に「人員を増やす」「マニュアルを作る」というだけでなく、診察室・面談スペースの物理的なレイアウトそのものが、安全配慮義務の対象になる、という強い実務的指針を示したリーディングケースとして知られています。

 

この2件はいずれも、「起こり得ることを予見できたか」「それに対する備えをしていたか」が争点になっています。

こうかん会事件は、同じ職場で2度事故が起きても、その都度の病院側の対応次第で判断が分かれることを示しています。1件目は応援体制の不備が問われ、2件目は逆に、産業医を交えた丁寧な復職支援のプロセスが、病院を守る材料になりました。

日頃からの体制整備が、いざという時の防御材料になるという点は、以前の記事でお伝えした「基本方針は建前ではなく、病院を守る記録にもなる」という話とも一致します。

なお、ここで扱っているのはあくまで民事上の損害賠償の話です。

安全配慮義務違反が認められるかどうかとは別に、業務中に負傷したスタッフは、病院の過失の有無にかかわらず、労災保険から給付を受けられる可能性があります。

労災認定の考え方については、次回の記事で改めて取り上げます。

 

もう一つの視点:病院が損害賠償を求めても、簡単には認められない

ここまでは「病院が訴えられる」側の話でしたが、逆に「病院が患者家族に損害賠償を求めた」判例もあります。当事者の向きが違う、別の論点として押さえておいてください。

 

入院患者の家族による高圧的な言動が原因で、複数の看護師が退職し、病床の一部を閉鎖せざるを得なくなったとして、病院がその家族に損害賠償を求めた事件です。2025年1月、最高裁まで争われ、病院側の敗訴が確定しました。

裁判所は、家族の言動の多くを「社会的相当性を著しく逸脱したハラスメント」と認定しながらも、入院患者やその家族の精神的不安定さを考慮すると、直ちに違法とまでは評価できないとして、損害賠償請求を退けました(暴行に当たる行為は除く)。

つまり、病院が迷惑行為の被害者として、相手方に金銭的な責任を問おうとしても、医療現場特有の事情から、そのハードルは高いということです。

 

一方で「診療拒否」は認められやすい傾向にある

損害賠償という手段のハードルが高い一方で、信頼関係の喪失を理由とした診療拒否については、正当と判断した裁判例が複数存在します。

医療過誤を訴えてきた患者との関係、長時間の居座りや謝罪の執拗な要求があった事例など、緊急性がなく代替医療機関がある状況で、診療拒否を正当と認めた判断が積み重なっています。

これは以前整理した応召義務の考え方とも一致します。

損害賠償という「事後の回収」よりも、診療拒否という「事前の防止」の方が、法的に認められやすいという傾向は、医療機関にとって重要な実務指針になります。

 

立入禁止という選択肢とその注意点

医療機関には施設管理権があり、迷惑行為を行う家族等の立ち入りを禁止することも可能とされています。

ただし、面会の機会を完全に奪ってしまうと、それ自体が別の権利侵害として問題になり得ます。

オンライン面談等、代替の面会手段を確保しておくことが望まれます。具体的な運用方法は、別の記事で改めて取り上げます。

 

まとめ

病院は、スタッフを守れなければ「安全配慮義務違反」として訴えられるリスクを負う一方、迷惑行為の被害者として相手に責任を問おうとしても、簡単には認められません。

どちらの面から見ても、事後の法的手段に頼るのではなく、日頃の予防と体制整備こそが、病院を守る最も確実な手段だということが、これらの判例から見えてきます。

 

すずえ社会保険労務士事務所では、病院・医療法人向けに、カスハラ基本方針・対応マニュアルの策定、就業規則の見直し、院内研修の講師を承っております。まずはお気軽にご相談ください。

 

 

鈴永 眞

同志社大学法学部卒業後、中小企業マーケットに特化した大同生命保険株式会社に入社。
東京、京都などの営業拠点で販売、社員育成、組織運営に従事。
その後、医療系スタートアップの立ち上げや全国規模の医療グループのM&Aを経験し、組織を動かすのは結局のところ「人」であると実感。
2019年に社会保険労務士として登録し、2021年からは病院・医療法人の労務課題に特化した支援に専念している。

 

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